2023年06月03日
須波(諏訪)神社
天慶元年(938年)この地域はまだ稲木の入会原野で、稲木に長者屋敷があり、信州から来住した「依田氏」がこのあたり一帯を治め、同じく信州から来住した「諏訪氏」が、信州の諏訪大社を、勧請地主神として豊島に祀っていた。正安2年(1300年)依田氏に代わってこの地を支配していた「千秋氏」の命で豊島から滝下・鈴木・今泉・森下・鳥居の5軒が、稲木の入会原野を切り起こし移住したとき、現在の豊栄沢渡254番地に豊島の諏訪大社をこの地に分祀し産土神とし諏訪河原村とした。
建武2年(1335年)千秋氏に代わってこの地を治めていた「富永氏」は諏訪大社を崇敬(国内神明帳に従5位上須波天神座設楽郡と搭載)須波大社とし、社格が上がった。
永正3年(1506年)富永氏に代わり「菅沼定則」が野田館に入城した時、八幡社を氏神としたため、豊島の諏訪大社を諏訪の須波大社に遷座(移す)。
大永2年(1522年)豊島と諏訪の諏訪大社を合祀再興。社殿を改造し諏訪大明神と称す。
天正元年(1573年)野田合戦の為焼失、再健時に境域を拡張、今出平村が氏子に入る。
明治2年(1869年)須波神社に複称。明治5年に村社とした。
Posted by ちさと郷土研究会 at 20:36│Comments(0)
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