2024年02月11日
令和6(2024)野田城の戦い関連物故者供養会が行われました。
令和6(2024)年2月11日に野田城の戦い関連物故者供養会が新城市千郷地区にある大洞山泉龍院で、主催の地元の行政区長やちさと郷土研究会会員41名が参加し、開催されました。
本供養会は、昨年が野田城の戦いから450年であったことを記念して開催され、今年も郷土の歴史を学ぶ機会として開催されたものです。
供養会では、ちさと郷土研究会会員による講演も行われ、野田城の戦いの概要、野田城の戦いに至るまでの経緯、供養会の意義について解説があり、野田城の戦いの際には、地元領主が徳川方、武田方などに分かれて争ったことから地元の領主同士で争いが行われたことや1902年に地域で疫病が流行し、地元の長老が泉龍院の和尚に相談した際、武田信玄との戦いで亡くなった将兵を慰霊する提案があったことから供養会が行われていたことなどの説明がありました。
講演会の後には、供養会が行われ参加者による焼香が行われました。
その後、野田城籠城の際の城主菅沼定盈などのお墓や大野田城など、地域のお寺や城址8箇所で献花が行われました。
地域の歴史を知り、地域を次代へつなぐ大切な会です。来年以降の開催の際には、多くの方のご参加をお待ちしております。
菅沼氏3代のお墓
大野田城
豊島永徳寺
大野田怨親招魂碑
泉蔵寺
本供養会は、昨年が野田城の戦いから450年であったことを記念して開催され、今年も郷土の歴史を学ぶ機会として開催されたものです。
供養会では、ちさと郷土研究会会員による講演も行われ、野田城の戦いの概要、野田城の戦いに至るまでの経緯、供養会の意義について解説があり、野田城の戦いの際には、地元領主が徳川方、武田方などに分かれて争ったことから地元の領主同士で争いが行われたことや1902年に地域で疫病が流行し、地元の長老が泉龍院の和尚に相談した際、武田信玄との戦いで亡くなった将兵を慰霊する提案があったことから供養会が行われていたことなどの説明がありました。
講演会の後には、供養会が行われ参加者による焼香が行われました。
その後、野田城籠城の際の城主菅沼定盈などのお墓や大野田城など、地域のお寺や城址8箇所で献花が行われました。
地域の歴史を知り、地域を次代へつなぐ大切な会です。来年以降の開催の際には、多くの方のご参加をお待ちしております。
菅沼氏3代のお墓
大野田城
豊島永徳寺
大野田怨親招魂碑
泉蔵寺